稲葉さんの記事目的で「音楽と人」を買ってきて、そのほかの記事もパラパラ~と読んでみたら目に留まったのがももクロの百田夏菜子ちゃんのインタビュー。

もう悪い大人たちは壁を作ってくれないんだ

これは国立競技場でのライブの最後に言った言葉らしいんですけど、結構深くないですか?「今までは周りの人が言ってくれたりしてたけど、もうそれに頼ってるだけじゃいけないんだ」と。大人になってから小学生とかを見ると「いいな~小学生は自由で~」とか思いますけど、子供は子供でいろいろ不自由が多いもんです。大人から「あれしなさい」「これしなさい」と言われて、「嫌だ!そんなのやりたくない!」なんて反発しながらもなんとか乗り越え。「これはしちゃだめ」「こんなのできるわけない」と言われて、「何を!やってやるぞ!」と反発して乗り越え。今思うとそういう壁を作ってくれた嫌な大人がいたからこそ成長できた部分もあったと思います。だけどいざ、「はい。あなたはもう一人前だからあとは自由にやって」ってなると戸惑っちゃいます。今まで課せられた課題を乗り越えていくことが目標だったけれど、これから自分で課題を見つけていかないといけない。「課題を課さない」という選択も自由だけど、どんどん自分は駄目になっていくんじゃないかというプレッシャーが生まれて、それはけして楽な選択肢ではないものです。

私は学生から社会人になるとき、戸惑いました。私は学生のころは先生の言うとおりにこなしてきた、大人から見れば「いい子ちゃん」でした。「大人の言うとおりにしてればとりあえず万事うまくいく」みたいにやり過ごしてたから、いざ「はい。あとは自由にやって。」と社会に放り出されたときは「え?何すればいいの?自分な何がやりたいんだろう?」って、いい子ちゃんからダメダメな人間になっちゃってました。私の場合はね。だから今思うと学生時代のころにもう少し反発したり、反抗はしないまでも多少疑問を持つぐらいはしておけばよかったって思います。


ももクロの記事を読んでこんな風に思ったのも、たぶん稲葉さんの記事を読んだ後だからだと思います。「自由=孤独」であり、「本当に自由になろうとするとすごくリスクがあるもの」であり。

幸せはどこにも落ちていない
自分の中にある選んだレールの上にしかないもの
それこそが自由
/Freedom Train(B'z)

「Freedom」と「Train」ってよく考えると妙な組み合わせですよね。「敷かれたレールの上を進む人生なんてまっぴらだ!」みたいな常套句(?)があるように、「レール」ってちょっと不自由さの象徴でもあるような気がするんです。急に右行くとか左行くとかもできない。出発時刻もある。引き返せないし急には止まれないし。ただ、「行き先を選ぶことが自由」であって、行き先を決めたらもうあとはひたすら走るだけ。そのあとどんな苦しみや寂しさが待ち受けていようとだれも責任をとってくれない。自分の身は自分で守らないといけない。最初にも書いたけど、大人から課題を課せられなくなっても、大人になったら自分で課題を見つけていかなきゃいけない。子供のころは「いいよな~大人って。自由に行きたいとこ行けて。」みたいに思うけど、ぜ~んぜん自由じゃないですよね~?(笑)だから自由と不自由って表裏一体なのかなって。自由ってどこでも羽ばたく感じじゃなく、レールの上をひたすら孤独に走り続けることなのかもしれないですね。

けれど、そんな孤独の中、見つける幸せは素晴らしいものなんでしょう。きっと。私にはまだ分からないんですけど。「稲葉さんはきっとそんな孤独な戦いを制して幸せを手にしてきた人なんだろう」…と思いきや、インタビューでは「でも、憧れてるままの方がいいんじゃないか、とも思うんです」って言ってるんですよね。確かに言われてみれば、新曲の「Stay Free」も「自由を手にしろー!」って感じよりは、自由に憧れて、でもなれなくて逡巡して「自由ってどんなものでしょう」って繰り返してるようにも聴こえます。

稲ソロの歌詞って「伝えたい」と言うよりは…いや、そういうのもあると思うんだけど、でもどっちかっていうとそれこそ「念書」みたいに「書き留めたい」という雰囲気がします。だから答えをバンッ!って出すわけじゃなく私たちと同様に悩んで迷って逡巡してるような歌詞。そういうのが好きです。


…好きだからさ~ライブ行きたいのにチケット取れないのよ~(泣)。ライブビューイングも申し込んでみたけど、取れるかな~?とりあえず、今の私は自由よりも稲ソロのチケットが欲しい(爆)。