ピルグリムの歌詞

「ピルグリム」というタイトルを聞いたとき、言葉の意味がわからなくて辞書で調べてみました。

Pilgrim・・・(聖地)巡礼者

・・・うん、まだちょっと難しい。今度は「巡礼」を国語辞書で調べてみると

巡礼・・・聖地や霊場を巡拝する旅によって、信仰を深め、特別の恩寵(おんちょう)にあずかろうとすること。また、その人。

・・・さらに難しくなったような・・・^^;なんとなくわかってきたけどもうちょっと調べてみる。

聖地・・・神・仏・聖人や宗教の発祥などに関係が深く、神聖視されている土地。


この「ピルグリム」という歌詞、「幾千の花びらが~」と始まるように、季節は「春」だということがわかりますね。たぶん、春に君と出会う→次の春に君が消える→また次の春に再び君と出会いぜったい毀したくないものに気づく、みたいなストーリーでしょう。こんなふうに書いてしまうとなんともあっけなくなってしまいますが、ここは言葉のマイァィァィスター♪な稲葉さん、あっさり終わらせません。

普通は「季節が変わる」とか「春が来る、夏が来る・・・」というような表現をしますが、これは人間が軸になって季節が向こうからやってくる、というような考えですよね。そうじゃなく、季節がそこにあって人間がそこに向かって歩いて行く、と考えると・・・?それこそ本当に巡礼しているようになります。あの、人生ゲームのような、すごろくのようなものを想像するとわかりやすいかも(笑)。秋に辿り着き冬に向かって歩き出す。冬に辿り着けば次は春に向かって歩き出す。春に辿り着き次は夏に向かって歩き・・・出そうとするけれども、「春」が僕をつかまえ、「春」の景色が僕を取り囲み、「春」が僕を包み込む。「春」という季節はいつも「僕」を立ち止まらせて前を進ませようとしない場所であるとすれば、「春」という季節は「僕」の歴史にとって変化を与えた聖地のようなものに変わり、まさに僕は「巡礼者」=「ピルグリム」のようである、と。そんなわけでこういうタイトルなんじゃないでしょうか。


深いのぉ~・・・


さっきも書きましたが、人間を軸にして「季節が変わる」「春が来る」と表現せず、季節や時の流れを軸にしてそれに向かって人が歩きだしている、という発想の転換がなければこのタイトルもきっと生まれなかったことでしょう。主格を「人」にするか、「季節」にするかの違いですね。こういう発想の転換ってできそうでなかなかできないものだと思います。それはまさに、天動説から地動説を唱えるような、創造論から進化論を唱えるような、発想の転換!・・・というと大げさか(笑)。

発想の転換と言えば

目を凝らしてごらんよ やきつけてごらんよ
あふれる言葉の行き先を


も、結構すごい歌詞だと思います。言葉を「聞く」んじゃなく、目を凝らしてやきつけるものだ、と。しかも、言葉の内容じゃなく「言葉の行き先」を目に焼き付けるなんて考えたこともない!歌詞の内容にもあるように、何気ない言葉が「君」の心を温かく包みこんで手を握り締めてくれたり。けれどあるときは、ほんの些細な言葉が「君」の心の奥底の柔らかいところを貫いてしまい涙をこぼさしてしまったり。だからこそ心の中のあふれる言葉がどこに向かうのか、しっかり目を凝らして焼き付けようとしているのでしょう。もう涙は流させまいと、心の中で暴れる言葉をじっと見つめているのかもしれません。優しい・・・。本当に、こういう言葉のチョイスが絶妙です。

この歌詞って正論をつらつら述べてるわけじゃなく、だからと言って感情論をガンガンぶつけてるわけじゃないですよね。抽象的で、直接言葉で書かれていないけれど、桜舞う季節に想う切ない感情、みたいなものがこの歌詞とメロディからガンガン伝わってきます。やっぱりこの曲、聴けば聴くほど大好きになります。